(日々ご活躍でご多忙な矢野さんもふるさとへ帰ってきてリラックス。深夜の若葉旅館のロビーで ふるさとの思い出を語ってくださいました)

皆様こんばんは。8月も下旬にはいりました。いかがお過ごしでしょうか?

若葉旅館がお送りいたしております「ひと」シリーズ。第3回目の今夜ご紹介いたしますのはここ酒田のご出身で毎年お盆にこちらへ帰郷される日本を代表する研究者の矢野和男さんです。矢野さんは昨年の発売とともに多くの方に読まれ、またメディア多方面で取り上げられた、集団の行動(Collecting Behavior)と幸せ(happiness)の相関関係を追求した「データの見えざる手(2014年/草思社)」の著者としても知られています。

あらゆる特集、あらゆる対談が組まれ科学者としての矢野さんを知る機会が多いかと思いますが、若葉旅館では今回、そんな矢野さんに“ふるさと酒田”という観点から迫ってみたいと思います。

~ 真夜中のインタビュー(抄)~

Q:酒田で育った少年時代。夏の思い出で心の残っていることはありますか?また好きな場所とかはありましたか?

矢野和男さん(以下矢野さん):「山居倉庫とか、本間家本邸(駐:共に現在は酒田の代表的な観光スポット)などでよく遊びましたね。本間邸も当時はまだ公民館として利用されていて今のようにきれいに修復されていませんでした。セミ取りなんかもよくしました。」

Q:逆に酒田の冬の思い出ってありますか?

矢野さん:「逆に冬のほうが印象が強いです。猛吹雪の中で登校したというのが今でも記憶に残っています。息を吐いたり口をあけると猛吹雪の横殴りの雪がすぐに口に入ってしまうので終始無言で黙々と学校を目指しました(笑)。酒田は横殴りの風が強すぎて冬は雪はあまり積もらず吹き飛んでしまうんです。」

Q:東京での生活、海外や世界での講演や学会の最中、酒田を思い出すことはありますか?

矢野さん「思い出すというより酒田が骨身に沁みついているので、そういう感覚ではないですね。」

Q:酒田・庄内の好きな食べ物ってありますか?また東京の生活と酒田の生活で食生活という観点から、異なる点はありますか?

矢野さん「酒田に住んでいたときは当たり前のように食べていた“わらび”を食べる機会が東京に行ってからは少なくなりました。それからこの時期だと“だだちゃまめ、” 昔は枝豆=だだちゃ豆でした。これもこっち(酒田)では当たり前のように食べていましたが、東京へ下宿するようになって、あるとき母が下宿先に送ってくれたんです。大家さんに上げるようにと。僕としてはそんなもの東京にもあるのに・・と思いながらも大家さんに上げたら、ものすごく喜ばれて、感謝されて・・。それでだだちゃ豆に美味しさを再認識しました。におい、風味全てにおいて違うんだと。・・(中略)・・それからお米!白いご飯が好きです。」

Q:春~夏の食べ物が多いですが、冬の食べ物ですと、いかがでしょう?

矢野さん:「“ブリ子”ってまだありますか? 子供のころ、柳小路というところで大きなツボが積み上げられていてその中に入っている“ハタハタ”の子供の甘辛煮。プリプリの歯応えが大好きで。子供のころはハタハタって驚くほど安かったので。」

「・・“みそぞ”って知っていますか?これは家族みんなが大好きでお正月のお雑煮でおもち(しょうゆ味)、こんにゃく、わらびなどを入れたお雑煮ベースの雑炊なんです。大好きでした。」

・・と酒田・庄内の食べ物のお話も盛り上がりました。国内海外出張先でかならず“ご当地もの”を試されるという矢野さん。グルメな舌はここ酒田で養われたのかもしれません!?

最後に、

Q:酒田の学生時代はヒルティの「幸福論」が愛読書だったと伺います。それが現在の幸福を追求する研究に繋がったのでしょうか。酒田での青春時代はどのような感じだったのですか?科学者になりたかったという気持ちは当時からあったのでしょうか?

矢野さん:「『幸福論』は読み込みました。渡部昇一さんの『知的生活の方法』に出てきたのがきっかけです。あ、渡部さんって鶴岡(駐、酒田のお隣)の出身なんですよ。それからグリーンハウスで映画を良く見ていました。思い出すのは『時よとまれ、君は美しい(1973年)』とか『ある愛の詩(1970年)』あたりでしょうか。ひとつはミュンヘンオリンピックの記録映画でした。グリーンハウスにはほんとうに良く通っていました。科学者になりたいという気持ちは当時はまだ漠然としていましたが、今思うと、きっとあったと思います。」

・・真夜中という時間にもかかわらずいろいろなお話をしてくださった矢野和男さん。本当にどうもありがとうございました!もっとお話して頂いたにも関わらず、ここで書ききれずに申し訳ありません!インタビューを終えて「幸福」という目に見えない形而上的なものデータにし、数字にし、方程式にし可視的なものへと変えてゆくという21世紀の新しいサイエンスの在り方を追究する矢野さんの素地は酒田の環境で育まれたのかもしれません。世界的に注目されながらもその素顔はとても温かく、紡ぎだす言葉からは酒田人の人情と酒田への愛着をとても強く感じました。文系・理系という垣根を越えた、人々を幸せにするための研究と益々のご活躍をここ酒田よりお祈り申し上げます!それでは今夜はこの辺で・・山形県酒田市から、おやすみなさい・・。

IMAG5127

若旦那駐:※1 「ブリ子」。現在ハタハタの減少を防ぐために浜上がりのものは獲ってはいけなくなっています。ハタハタのお腹に入っているものは獲ってもよいのですが、矢野さんが歯応えと仰っているところから察するに浜上がりのブリ子のことで、とても固くてくちゃくちゃ食べてペッっと吐くものでかつてはこの辺りで良く食されました。ハタハタの値段は現在はピンキリで大きさ、雌雄、白子やブリ子のあるなしで価格は決まりますが、それでも庄内へ足を運べば築地の市場価格の半額近くで手に入るのではないでしょうか。冬の代表的な食材です。

※2 「わらび」は庄内地方の多くの地域では冬に備えて塩で漬けて涼所保存するという習慣があります。

※3 「グリーンハウス」は有楽町の映画館と同じタイミングで洋画を封切りしていた東北をリードする役割だけでなく日本を代表する洋画座でした。1976年の酒田の大火の発火元はここでした。

※4 「渡部昇一」 渡部昇一博士(1930~)。比較文化、英文学などの観点からの評論を得意とし、長らく日本のオピニオンリーダーをつとめこられた上智大学名誉教授。