はじめに、この度は熊本をはじめ、九州各所で相次いでいる大地震でお亡くなりになられた方には謹んでお悔やみを、被害に遭われ今なお不安な気持ちで日々過ごされている方々には心よりお見舞いを申し上げます。一日も早く従来の生活に戻れますよう、心よりお祈り申し上げます。

地震発生以降、旅館として、もちろん個人として至らぬながらできる限りの応援をさせて頂こうと思って早10日近くが経ち、まだまだ何かできることがあるかもしれないと、現在でもその方法の模索途上にあります。

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熊本には日本有数の“美肌の湯”として名高い黒川温泉があり、そこには「旅館わかば」さんという当館と同じ名前の旅館があります。たまに外国の観光客の方が間違えて双方に予約を入れてしまったりして(苦笑)、それがご縁で連絡を取ったりする間柄で、同じ系列でもなく姉妹店でもありませんが、頂いたご縁、何かこちらからできることがないかとご連絡をさせて頂きました折にご無事を確認させて頂きました。大変な時期でしたが、電話口で気丈にお話される若女将に逆に励まされる始末でした。いつかそちらが落ち着いたら一度ご訪問させて頂きたいと思います。一日も早い復興を心より祈念致します(黒川温泉さんは18日くらいから通常営業に戻られています)。

「熊本県黒川温泉 旅館わかば」 http://www.ryokanwakaba.com/

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そしてここ庄内と九州熊本(肥後)にも切っても切れない深い関係があります。

1601年にこの世に生を享けた肥後の国・加藤清正の次男、忠広(虎之助、長男が夭逝したため早いうちに世子となる)は三代将軍徳川家光に改易され禄高54万石から1万石になり、ここ出羽国庄内は鶴岡丸岡に幽閉、時の領主・酒井忠勝に預けられることとなりました。1601年は今回の地震で損壊してしまった熊本城が築城された年でもあります。改易の理由がきちんと幕府から加藤家に告知されなかったこと、また清正なきあと加藤家が度々混乱に陥ったことに同情し、酒井のお殿様は忠広に年に米百俵を与え自らも忠広を何度も見舞ったといわれ、三代目領主忠勝なきあとも、四代目の忠当も加藤家に対し礼を尽したといわれています。肥後から庄内にやってきた忠広は清川村で船を降り、広大な庄内平野と庄内富士・鳥海山に目を奪われ感嘆したといいます。1653年、庄内鶴岡で客死された忠広は今も静かに鶴岡本住寺で眠っており、鶴岡・丸岡地区の方たちは今でも清正、忠弘に対して尊崇の念を以っていると言われています。

現在も加藤家と酒井家で九州・肥後と東北・庄内は繋がっています!

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最後に、若葉旅館のワカダンナも熊本と長い歴史の線上で繋がっています。私の若葉旅館にムコ養子入りする前は水足という姓で、これは熊本県菊池市発祥の名前です。稀有な苗字ですが、その風光明媚な菊池渓谷、造り酒屋の多い地域で水に恵まれた地域らしい苗字で、その恩恵は菊池川に注がれてきました。菊池川は悠久の歴史の中で川はしばし氾濫し、その際に水に足を突っ込んで治水工事をしていたのが水足家だったと訊いています。そう、ワカダンナにも「肥後もっこす」の血が流れています!クマモトを、九州を応援しないワケがありません!

改めて、九州と東北、そしてニッポンが心をひとつにしてゆけることを願っています(私たちもその一員として・・)。

若葉旅館 ワカダンナ 矢野 慶汰

 

※ 庄内と肥後の歴史については度々若葉旅館を利用して頂いている地元の歴史研究家「宗雄司さん」のレポート「庄内藩と加藤清正」を参考にさせて頂きました。心よりお礼申し上げます。